【美輪明宏】池袋の思い出について語る
それではみなさま、今日はまず、みなさまから寄せられたお便りをご紹介いたしましょう。この方は練馬区のひろしさんという方でいらっしゃいます。男性の方です。珍しいですね。
美輪さん初めまして。日曜はいつも出かける前にこちらの番組を聞いています。美輪さんに話していただきたいのは私がよく行く街、東京の池袋についてです。以前、どこかで池袋には縁があるというお話を聞きました。お好きな場所や思い出の場所などありましたらぜひ。
というお話でございますけど、そんなに大げさに言うことのほどでもないんですけどね。ただ、あんなに賑やかになる前の終戦後の池袋でございますからね。住宅街でしたね。
江戸川乱歩さんのお宅が立教大学のすぐそばにございますけれども、江戸川先生にお家に、私招かれて参りまして、いまだにそのお宅は昔のまま存続して、手入れをなさってるんで、この間もちょっと行ってきましたけれども、本当に懐かしかったですね。
それでちょうどそのすぐ近所に、今、芸術劇場というのが出来ましたでしょう?あそこの杮落としの時に、私の作・演出で『マリー・ローランサン』、これを上演したんですね。出演はしておりませんでしたけど。当時、私は体を壊しておりまして、死ぬか生きるかの病気だったんですけども、それでも頑張って脚本書いて演出したんですけどね。
杮落としが何本かございまして、その中の一本を私が受け持ったんですね。それで縁がありまして。
そして今度は大病したのが治りまして、治ったら「『黒蜥蜴』を再演しませんか」って言われて、「じゃあ」ってわけで。で、「劇場は?」って言ったら芸術劇場だって。またその池袋の芸術劇場だったんで、それで私は女優商売にカムバックの『黒蜥蜴』を上演して、それはそれでエピソードがありまして。
ミッキー・カーティスのエピソード
私の友人が「ドラム」というジャズ喫茶を、終戦後にちょうど池袋でやってまして、そこへミッキー・カーティスがまだ高校生だったんですけど、「歌うから来てくれ」って言いますから、私冷やかしに来たら、「へぇーミッキーが歌うなんて笑っちゃうわ」なんて言いなが。、それでお母様も見えてまして。ドンチャカドンチャカ、ロックを歌ってましたよ。
サンシャイン劇場って言うのは、今でもございますけど、あそこでも松竹の仕事をずっと長い間、何度ももお芝居を、作・演出のものをやったんですよね。
ですから池袋って言うのはけっこう文化的な、いろんなものを発信してるところだけど、そっちの方はあまり宣伝されないで、何かこう怪しげなような、そういうイメージでとられたら、とっても残念なんですね。
みなさん、どうぞ誤解を解いていただきたいと思います。
TBSラジオ「美輪明宏 薔薇色の日曜日」2015年7月26日放送分より
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