【美輪明宏】国際色豊かな長崎に生まれたことの幸せを語る
最近街を歩いてますと、本当にもう渋谷から浅草の方から銀座から新宿から、キャンキョンキョンキャンキョンキョンキョン、スズメのおしゃべりみたいな感じですけど。その各国の人たちが、今日本にわぁーっと爆買いのために集まってきてますでしょう。ありがたいような不思議なような気がいたしますね。
言葉が、いろんな音が飛び交ってますでしょう。でも金髪の方は、もうちょっとわたくしの黄色い髪を薄くしたような色でしょう。だから驚かないんだけど。私のこの、真っ黄色けのピカチュウ色の髪の毛見ると珍しいらしくて皆さん振り返ったりしますね。
まぁとにかく見られるのは慣れているんで、どうってことありませんけどね。
(昔の)長崎は国際色豊かだったんですね。お江戸がまだ、ぺんぺん草が生えていたころに、もう400年の歴史の長崎では、唐の国、中国とか韓国、ポルトガル、エゲレス、オランダとかいろんなところと交易してましたでしょう。
そういった人たちの結局、2代目3代目4代目ってはるかに血を引いた人たちが生息してまして、本人たちももうわからなくなってるんですよ、自分の先祖が何人だか。それが長崎なんですよね。
私はあそこで育ってよかったと思いますね。お手伝いさんも、中国人のお手伝いさんはいませんでしたけど、あの頃は日本名で呼ぶように強制されてましたから、日本の名前でしたよね、お手伝いさんは。
で、わたくしのそばに付き添ってて、歌をよく歌ってて、わたくしそれを覚えたというか、教えられたというか、『アリラン』って曲あるでしょ。
アリラン ゴゲロ ノモガンダ
ナルル ボリゴ ガシヌン ニムン
シプリド モッカソ パルビョンナンダ
わたくし、これを思い出すと、そのお手伝いさんの顔も思い出すんですけどね。
まぁとにかく国際色豊かなところで、生まれて育って、幸せだったと思いますよ。
TBSラジオ『美輪明宏 薔薇色の日曜日』2016年10月9日放送分より