美輪明宏ラジオの名言

美輪明宏の発言まとめ

【美輪明宏】第2のふるさと、東京の思い出

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さて今日は私の大好きな街、第2のふるさとでございますね。東京についてお話させていただきたいと思います。

 

2020年のオリンピック開催が決まりましたね。オリンピックが来るとスポーツ関係の人は大喜びでしょうね。経済的に捕らぬ狸の皮算用をしておりますけど、どういうことになりますかねぇ?

 

さて今日のお話は私の思い出の町についてお話させていただきます。その思い出の町は東京なんでございますね。

 

私15歳まで長崎におりまして、歌手になろうと思って、東京の国たちの音楽学校に試験を受けに行きましたのは15歳の終わりの頃でございまして、16歳から本格的に上京してきたわけです。

 終戦直後の東京

その頃の東京は、東京大空襲の後の焼け残った所があちこち残ってましたし、上野駅とか新宿駅とか駅という駅は、戦災孤児とか焼け出された一般の家族の人たちがぎっしり住み込んでましたね。駅の地下道なんかにもね。

 

道も舗装されていない石ころだけのところもございましたし、銀座にもまだ屋台が残ってましたからね。

 

夜の女たちが、戦争前はいいところのお嬢様だった人たちが一人だけ生き残って、家族は焼かれて、生きていくために仕方なく、進駐軍相手の夜の女になりまして、有楽町であるとか上野駅であるとか日比谷公園であるとか、そういう所で春を売っていたんですよ。それで喧嘩をするときにはものすごいんですね。「ばかやろう。てめぇ」なんて。「えっ?」ていうようなすごいアバズレの女になって。

 

それで普段ご飯なんか一緒に食べに行きますと「恐れ入りますけどお醤油とってくださいませ」「わたくしはねぇ…」って、この人は良いところのお嬢様だったんだなぁって、そういう感じの悲しい人たちもたくさんいました。

 

私は東京に来た時に、まだ汽車ぽっぽでしょう?新幹線なんて電気がありませんですから。夏は暑いですから、窓が開いてるとばい煙が入ってくるんですよ。

 

だから品川駅にも東京駅にも、主だった駅には顔を洗う洗面所がずらーっと並んでたんです。そこで顔を洗って次のところへ行くと目的のところへ行くという、そういうシステムになってたんですけど、いつの間にかホームから洗面所が無くなっちゃいましたね。

 

あの頃は私は転々としてましたね。音楽学校も国たちへ、東北沢へ下宿してまして小田急に乗って国立まで通ってたんですけどね。国立なんて今はもう全く違う街になりましたけどね。新宿駅も古い駅のままでしたし、風情がありましたね。

 

映画館もアール・デコスタイルの風情のある映画館があちこちにありました。今はちょっとはずれの方に住んでおりますけど、上野あたりの鶯谷って言うのは私本当に悲惨な思い出がありますし、今でも下町を用事もなくウロウロしてますと、あの頃のことを思い出してリフレッシュできるんですね。懐かしい友達も住んでおりますしね。

 

まぁとにかくいろいろ思い出があります。銀座は40年も歌ってた場所ですしね。東京中私は大好きでございます。

 

TBSラジオ美輪明宏 薔薇色の日曜日』2013年11月放送分より

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