【美輪明宏】三島由紀夫にリサイタルのオファーをした時の思い出について語る
さて、ついに昨日からわたくしの秋の音楽会が始まりました。タイトルは『美輪明宏と万ティック音楽会2016』サブタイトルが『生きる』でございます。
東京公演は9月25日まで池袋の東京芸術劇場プレイハウスでございます。25日までやっております。その後は仙台、名古屋、大阪、福岡で講演を行います。詳しい情報はパルコ劇場のホームページからどうぞ。お待ちしております。
生きるということはどういうことか。これをユーモアたっぷりにお届けする曲もございますので、ではどうぞお楽しみに。
ではこの後は、コンサートなどにまつわる三島由紀夫さんとの思い出などをお話させていただきたいと思います。どうぞお付き合いくださいませ。
詳しくは以下のwebサイトで確認できます。
今日は三島由紀夫さんとの思い出などをお話させていただきます。コンサートがらみでございますけどね。
ちょうど50年前の1966年。チャリティ・リサイタルを行いました。これはある身体障碍者の施設の子供たちに、いくらか寄付させていただきたいと思いまして、行ったリサイタルでございました。今は亡くなりました日経ホールという小さなホールでしたんですけど、そこでやることになりまして。
そしてチャリティでございますんで、じゃあ華やかな方が(良い)、と思っていたら、三島由紀夫さんが昔から舞台に出てみたい出てみたいとおっしゃっていたのを思い出して、三島さんだったら有名でいらっしゃるし、寄付などをなさって功徳を積むのも良いかということで、お宅へ伺ってお話したら、1も2もなくOKだったんですね。
あっ、そうじゃなかったんだ。初めは渋られたんですよ。それでわたくしは一度、断られたと思って帰って、そうしたらまた、思い直しませんかって言って電話したんですよ。
そしたら「あぁ良かった」って言って、どうして?って聞くと「僕はどんな取材でも現行の依頼でも何でも一度は断ることにしてるんだ」って。「だから断ったんだけどやりたくてしょうがなかったから、もしこれでこれっきりになったらどうしようって心配してた」って言って。
それで、プロポーズしてくれてありがとうって言って。前からスターの気分を味わいたいっておっしゃってたじゃありませんか、って言ったら「そうなんだよ」って。
TBSラジオ『美輪明宏 薔薇色の日曜日』2016年9月11日放送分より