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美輪明宏ラジオの名言

美輪明宏の発言まとめ

【美輪明宏】若い頃の食遍歴と一番印象に残った食べ物について語る

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さて今日はいつもと趣向を変えまして、いやしんぼうのお話で、食べ物についてお話させていただきます。ディレクターがそういうもんですから。

 

まぁ戦前、戦中、戦後と、食料も変わりました。うちは料亭をやっていましたから、戦前は贅沢な食べ物がたくさんありました。これはひとつの方便だと思うんですが、父が勉強だからということで、レストランだとか料亭だとかいったところで食べ歩くんですね。ですから食べるものはとっても贅沢だったんです。

 

 

だからこそ戦争になって、食がまずくなって、日本中が飢え死に寸前になった時に、その落差で非常に辛い思いをしましたね。

 

そして、今度は終戦後。このときも飢え死に寸前だし、何から何まで、全部配給制度でしたからね。煙草でさえも配給の対象でしたよ。それで闇煙草っていって、自分たちで手巻きしたものを売ったりすると警察に捕まるとか。

 

あと闇列車って言うのがあって、農家に直に自分の洋服とかラジオとかを持って行くとお米をくれるんですね。農家の人が一番威張ってましたからね。

 

お金なんて何の値打ちもありませんでしたからね。お金を出しても物がないんですから。物々交換でしたから。

 

それでやっと大変な思いをして家族に食べさせようと思って、米を担いで田舎から都会に担いでくると、警察が待っていて、それを取り締まるんですね。取り締まられると、捕まるのが嫌だから、お米が入ったリュックサックを放り投げて逃げるんですよ。逃げた後にどうするのかと思ったら、なんと警察官とか保安の係の者が、自分の家に持って帰って食べてるんですよね。そういう本当に嫌な世の中でしたよ。

 

私が一番印象に残っている食べ物というと、実家が破産して、音楽学校を中退して、ホームレスになっているときに、ふと音楽学校に通っているときにいつも電車で一緒になる学生さんがいまして、大学生で私より5つくらい上の人でしたね。その人がとっても親切にしてくれて、中央線沿線だったんですけど、いつも隣に席を取ってくれるんですよ。

 

その人が東京の初台に住んでて、一度訪ねたことがあって。それをホームレスの頃に思い出して、私は2,3日何にも食べていなかったんで、そしたらとっても喜んで接待してくれて。

 

そして、出窓のところに七輪を出して、卵とソーセージを、卵をスクランブルエッグのように料理して食べさせてくれて。「(卵とソーセージは)どうしたのか?」って聞いたら、その人は進駐軍のキャンプにアルバイトで言ってたんですね。清掃やなんかの仕事で。本当は違反なんだけど、そういうものを貰って帰ってきてたんですよ。それで食べさせてくれて。まぁ、世の中にこんなに美味しいものがあるのかと思って。

 

まぁそれがこれまでで一番印象に残った食べ物ですね。

 

TBSラジオ『薔薇色の日曜日』2016年12月18日放送分

 まとめ

 というわけで、美輪さんの一番印象に残っている食べ物は、終戦直後に大学生からごちそうしてもらった、スクランブルエッグとソーセージでした。みなさん、意外でしたか?

 やっぱり、単に美味しい食べ物や値段の高い食べ物じゃなくて、どういう状況で誰と食べたかってことが重要なんですね。

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