【美輪明宏】年末と正月の過ごし方について
今日は年末の過ごし方についてお話させていただきたいと思います。
私は紅白に出るまでは、大みそかになるギリギリは、お仕事をお断りしてたんですね。正月も必ず家で、気心に知れた人たちと、麻雀をしてということで、本当にリラックスして、別世界に入ってリフレッシュする。それがもう何十年もずーっと続いてたんですけどね。
ここのところは、わたくしの場合は、紅白のリハーサルとか打ち合わせとかで大変なんでございますけどね。でも、一年の総決算として、みなさんが楽しみにしていらっしゃる紅白なんで、私のプライベートな時間は無いものと思って、潔くすっぱり頭の中から追い出してますけどね。
みなさんは年末はどうしてらっしゃるだろうと思いまして、普段から掃除なさっている方はいまさら掃除なさる必要もないですし、それに比べて昔は拭き掃除から全部手仕事で、ほうきと手ぬぐいだけでしょう?姉さんかぶりをして、パタパタパタパタはたきをかけてほうきで掃いて、拭き掃除をして。
いまはルンバだか丹波だか知らないけど、勝手にぐるぐる回って掃除はしてくれるしねぇ。便利な世の中になりましたね。時代の流れですね。
昔の戦前、戦中、戦後とは全然違いますね。大みそかも違って、終戦直後はお餅なんてございませんでしょう。だいたい戦争中からお米が無いんですから。
戦前は豪華にお米もあったし、お雑煮もありましたし、みんな古いしきたりで、旧式の正月で、家族でもお互いに全部着替えて。
お妾さんも本家に住んでる人もいましたし、同じ字所内に住んでいるお妾さんもいましたけど、改めて本家の奥さまに、羽織紋付で、ご挨拶に行くんですよ。そうすると奥様が金一封を封筒に入れて差し出して、「今年も主人をよろしくお願いします」って言って「はい、かしこまりました」なんて返して。戦争前は、そういう何か不思議な、奥ゆかしいといえば、奥ゆかしい習慣があったんですよ。
それが戦時中にはお正月も盆もへちまも無くなって、ただ防空壕の中で震えて爆撃を逃れる。食べるものも着るものも無い。そういう正月が続いて。
それで終戦後になりまして、終戦後は弱肉強食で、とにかく配給でしたでしょう。何から何まで。お米の代わりにキューバ島という真っ赤ななお砂糖がバケツいっぱい配られたり。政府も何考えてたんでしょうね。とにかく汲々としてて。
それからだんだん少しずつ物が増えて行って、今みたいにそれこそ偽物だろうが本物だろうがありますけれども、まぁ贅沢なごちそうのてんこ盛りの正月になりましたでしょう。
でもお正月の風情のある羽根つきとかカルタ取りとか、ああいうものがごく一部の人がやっているだけで、一般の人はやらなくなったのが、これは残念ですね。
ですからやはり、百人一首のカルタ取りとか、独楽回しとか羽根つきとか獅子舞とか、そういう風情はやっぱりもう一度復活させて、お楽しみいただきたいと思いますね。
まぁ愚痴なんかこぼしたって仕方ありませんね。もう一度楽しい、風情のある正月を復活させましょうね。ではみなさま、どうぞよいお年を。
TBSラジオ『薔薇色の日曜日』2013年12月放送分より