【美輪明宏】ホームレス時代に寒さをしのいだ方法について語る
あぁホームレスですねぇ。
国立(くにたち)の音楽学校に行ってたんですけど、ちょうど終戦後のなべ底景気と言われた時期で、うちはまぁまぁ商売してたんですけど、なべ底景気には敵わなくて、破産しました。復興のめども立たないような時代でしたでしょう?
それで、今度は北と南に分かれて戦った朝鮮の戦争がありました。本当は同じ民族なのに気の毒でしたね。ところが、それのおかげで軍需景気になって、日本もそれにあやかりまして、どんどん景気が良くなってきて、神武景気という神武以来の契機というものがまいりまして、それで私も「神武以来の美少年」というキャッチフレーズで世間の耳目を集めて有名になったんですけどね。
その前に、うちが破産しましたんで、食料が無くなって、下宿代も音楽学校の月謝も払えなくなったので、余儀なく学校を辞めて、それで行く場所が無くなってしまったんです。
そして当時は新宿の駅も、有楽町の駅も、東京駅も、駅という駅には焼け出された家族の人たちが、駅の通路にぎっしり住み着いてたんですよ。私もそこにもぐりこんだんですけどね。
2日3日食べないのは当たり前でしたけど、水ばかり飲んでましたし。生命力って結構強いんですよ。ガリガリになっても生きてましたからね。
寝るときの寒さなんですけど、新聞紙が落ちてたら、新聞紙の争奪戦になるんですよ。貴重品なんです。
いまのホームレスの人たちは、ダンボールを重ねてますでしょう。毛布なんてございませんからね。軍の毛布ぐらいで、一般の人たちは、毛布なんてのは本当に貴重品でしたから。
毛布を持っている人とか、寝袋を持っている人とか、今は所帯道具が全部が揃ってるホームレスの方々が多いでしょう。ラジオもなんもいろいろなものを持ってますけどね。当時は本当に体一つですよ。
そして新聞紙をかけて寝てるとはがされて持ってかれちゃうんですね。ですから新聞紙を肌着の下に入れちゃうんです。そうすると結構ぽかぽか暖かいんですよね。新聞紙を袖の下に入れてみたり、下着の下に入れてみたり、ズボンの下に巻いてみたりすると、ガソゴソしますけれど、暖かいんですよ。
ぜひ試してくださいませ。そういうふうに過ごしておりましたんですよ。