【美輪明宏】怪物・三島由紀夫の魅力について語る
この記事は2017年4月6日にフジテレビで放送されたテレビ番組、「ビートたけしの私が嫉妬したスゴい人」の美輪さん出演部分の内容を書き起こしたものです。「美輪」は美輪明宏、「ナレ」はナレーションの略です。
ナレ シャンソン歌手美輪明宏。戦後、長崎から歌手を目指し15歳で上京。16歳の時、本名・丸山明宏で歌手デビュー。その美貌で、マスコミから「神武以来の美少年」と評され、一世を風靡。以後『ヨイトマケの唄』『愛の讃歌』などの名曲を歌い上げる一方、数多くの舞台を主演・プロデュースなど、多くの人々を魅了し続けるエンターテイナー。2011年の紅白歌合戦では『ヨイトマケの唄』をフルコーラスで歌唱・その圧巻のステージは話題になった。そんな美輪明宏が嫉妬した人物とは?
美輪 私は小さい頃から、「人は人、自分は自分」と思ってますから、嫉妬という感情がありませんので…
ナレ 若いころから自分らしく生きることを貫いてきた美輪ならではの言葉。しかし、その交遊録の中には、美輪がその才能に驚き、その人柄に胸を打たれた人物がいるという。
美輪 一言で申しますと怪物ですね。私はあんな偉大な人に嫉妬するほど身の程知らずじゃございません。
ナレ あの美輪明宏をして、嫉妬をすることすら身の程知らずだと言わしめ、怪物だと例えられる人物とは?
美輪 えぇ、三島由紀夫さんですね。
ナレ 『金閣寺』『潮騒』など、数々の名作を執筆した戦後の日本を代表する作家。美輪はデビュー当時から、この三島と親交があったという。美輪が現在主演を務める『葵上・卒塔婆小町』も三島由紀夫が脚本を手掛けたもの。そんな三島由紀夫の一体どこに心を打たれたのか?
美輪 暗記力とか洞察力とか。この人の頭の中身はどうなっているんだろう。つくづく思い知らされることが多々ございましたね。
ナレ 美輪には三島由紀夫の記憶力の良さに驚かされた思い出があるという。それは美輪が三島に進められた本を読んでいたときのこと。
美輪 「これ、ちょっと面白いよ」って言われて読みまして、ちょっと分からなくなったことがありまして、電話でその本の内容を聞きましたら、倉庫の中がものすごい数の蔵書なんですよ。その「何番目の棚の何番目のところにその本があって、そのくだりが何ページのところに書いてあるから見てごらん」って言われたんですね。まったくコンピューターみたいな頭をしてらっしゃったんです。音楽・クラシック・演劇・文学から古今東西の知識まで、常に潤沢に採り入れてる人でした。ですから、昔ながらの日本語にも精通してらしたんで、三島さんの作品って言うのは、せりふが美しいんですね。
三島由紀夫の作品はせりふが美しい
美輪 江戸川乱歩原作で、三島さんが脚本なさった『黒蜥蜴』という女賊の芝居でございまして、もう数えきれないぐらい上演してまいりましたけど、それの中のせりふですが、あ行・あいうえおをせりふの頭に全部そろえて持ってきているんですね。例えば、自分の愛人がいるんですね。その彼との会話のところがあるんですけど…
あの時のお前は美しかったよ
おそらくお前の人生の後にも先にも
お前があんなに美しく見える瞬間はないだろう
真っ白なセーターを着て
仰向き加減のお前の顔が街頭の光を受けて
辺りには青葉の香りがむせるよう
美輪 美しいんですね。日本語の美しさ、響き、それを全部細かく計算してありまして、そういう劇作家の方って他にいらっしゃいませんので。川端康成先生も「三島さんの日本語には敵わない。あれだけ日本語を駆使できる人はいませんよ」って。そう、おっしゃってましたね。
三島由紀夫の人柄
ナレ 潤沢に文化を吸収し、その洗練された日本語で自らも文化の担い手となっていた三島由紀夫。美輪は、その人柄にも驚かされたのだという。
美輪 少年の一番純粋な姿を、そのまんま生きているような方でした。
ナレ それは美輪が貧しくてお金に困っていた三島が知った時の事…
美輪 三島さんが、「君ね。どうして俺のところに(お金を)借りに来なかったんだ」っておっしゃったんですね。私は文学の世界では及びもつきませんけど、アーティストとして大成したいと思いますって。その時に、大成したとしても三島さんに借りを作っていたら、どうしても一歩下がらなければいけない。それだけはしまい、と。どなたのところに(お金を借りに)行っても、三島さんのところに行くのだけはよそうと、そう決心していたんです。
美輪 いきなり椅子をすっとひかれまして、そして立ち上がって私にお辞儀なさって「そんなに僕のことを買い被ってくれてどうもありがとう」って、真面目な顔でいらして。なんてこの方はピュアな方だろうと思って。信頼できる人ってそうそういらっしゃらないじゃないですか?でもあの方は頭の先から足の先まで全部信頼できる人でしたね。
ナレ しかしそんな二人の親交は突然の終わりを告げる。今から47年前の1970年、三島由紀夫、割腹自殺。将来の日本を憂いたゆえの行動だったという。美輪が三島と最後に会ったのは、そのわずか1週間前のことだった。
美輪 亡くなる1週間前に楽屋に見えまして、ピカピカの靴でものすごい正装をしてらして。腕に300本ほどのバラを抱えてらして、真っ赤なバラを。そしていろいろとお話させていただいて。それで楽屋をお出になるときに「もう君の楽屋には来ないからね」っておっしゃったんで「なぜです?」って聞きましたら「いやぁ、今日もキレイだったよって嘘を言うのが辛いからね。もう来ないよ」って憎まれ口聞いて。その時はふっと笑ったんですけど、三島さんが18年間のお付き合いのいろんな出来事を、走馬燈のように思い浮かべていたのが伝わって来たんですよね。
美輪 後で考えたら、あの真っ赤なバラは、「これから先の分もだよ」っていう暗示だったんですね。
ナレ 自らの人生の幕引きを覚悟してか、美輪のもとに、今後一生分のバラの花束を届けに現れた三島由紀夫。美輪はそんな三島の文学的才能とその人柄を今でも忘れられないという。
ナレ さらに美輪が注目する人物がもう一人…。
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