【美輪明宏】高見沢俊彦にTBSとの付き合いについて語る
この記事は2016年8月7日放送されたTBSラジオ「高見沢俊彦のロックばん」での高見沢俊彦さんと美輪明宏さんの対談を書き起こしたものです。高見→高見沢俊彦、美輪→美輪明宏の略です。
高見 今夜のスペシャルゲスト、美輪明宏さんです。どうぞ、よろしくお願いします。
美輪 よろしくお願いいたします。いじめないでください。
高見 (笑)もう、無言のプレッシャーを感じておりますけども、
美輪 (プレッシャーを)かけております(笑)
高見 えーっとですね。美輪さんもTBSラジオで毎週日曜日の朝に「美輪明宏 薔薇色の日曜日」を2003年から担当されているとのことなんですが…
美輪 はい
高見 実はTBSはもっと長いという話を、さっきお聞きしまして
美輪 TBSさんとのおつきあいは終戦後からです。
高見 終戦後からですよね!?
美輪 昭和27年からですから、まだTBS自体がラジオ東京と言ってたんです。それで有楽町にあったんです。駅のすぐ裏に、毎日新聞がございまして、そのビルの中にラジオ東京がございました。
高見 ええ
美輪 私が40年間付かず離れず歌うことになった銀巴里というシャンソン喫茶があったんですけど、それがまだキャバレーだったんです。そのキャバレーが宣伝のために番組を持ってましてね。原孝太郎と東京六重奏団というコンチネンタルタンゴバンドがありまして、終戦後はタンゴバンドが全盛だったんです。
高見 タンゴが結構ブームだったんですね。
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美輪 えぇ。アルゼンチンタンゴとコンチネンタルタンゴ。アルゼンチンタンゴはアルゼンチンのタンゴでしょ?楽器が違うんですけどね。
高見 アルゼンチンタンゴとコンチネンタルタンゴでは楽器が違うんですか?
美輪 そうです。バンドリオンがアルゼンチンタンゴなんです。コンチネンタルタンゴはバンドリオンの代わりにアコーディオンを使うんですね。ドイツやフランスのタンゴがヨーロッパの、コンチネンタルタンゴって言って。原孝太郎と東京六重奏団がラジオ東京の専属で、その番組で丸々演奏して…
高見 その番組を丸々使って(演奏を)流してたってことですか?
美輪 えぇ。それは生(放送)でしたよ。
高見 生ですか!?
美輪 ほとんど生でしたよ、あの時代は。録音なんてあんまりございませんでしたから。
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高見 なるほど。
美輪 私がそこで歌って、プロデューサーかディレクターが、うろ覚えですけど、確か稲田さんていう、戦時中は稲田男爵だった方で…
高見 男爵ですか!?男爵がディレクターだったんですか?
美輪 そう。
高見 さすが美輪さんですね。
美輪 その方でしたよ。とても紳士でね。
高見 紳士なんですか。ウチのディレクターとは全然違いますね。
美輪 あぁ、そうですか?
(第2回につづく)
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