【美輪明宏】ビジュアル系の元祖としての自らを語る
今はもう音楽シーンでは、ビジュアル系と呼ばれる人たちが活躍してますね。本当に不思議な気がいたしますよね。
あたしは日本のビジュアル系の元祖と言われているんですけども、去年の紅白でも、隣にXJAPANのYOSHIKIくんとToshiさんが並んでて。
Toshiさんはもう、何十年も前に赤坂のTBSの近所の別のスタジオでしたけどもね。番組をお始めになって、売り出しのころでしたね。わたくしの大ファンだということで番組に出てくれませんか、ということでおファーがあって、それで私出たんですね。
その話を紅白で並んでた時にふっと思い出したんで、あの時そうでしたよねって言ったら「覚えててくれましたか!もう忘れたかと思ってました」と言われて。
そうしたら後で聞いたらYOSHIKIさんとわたくしが並んでいるところが、ビカビカのオーラが光ってましたって皆さんに言われたんですけども。あの方は、あの時はヒョウ柄の上着を着ていまして、私は白の上着で清楚にしていたつもりなんですけどね。悪目立ちして申し訳なかったと思ってますけどね。
とにかくわたくしがそういう格好をし始めたのは、19歳ぐらいの時からですから、60数年前にそういうことをやり出して、それが、今や当たり前になりましたでしょう?
結構な世の中になったと思いますよ。昔は国賊だのなんだのって言われて。言う方がおかしいんですよね。だってそれは日本の歴史に忠実に沿っているだけの話でね。元禄時代や出雲阿国の寛永時代はパンクファッションは当たり前だったんですよ。
ビジュアル系って言いますと、この間デビット・ボウイという英国のビジュアル系の方が亡くなりましたでしょう。その後で、ボウイ・ジョージという人も出てきましたよね。
でもね、あの方たちは私よりずっと後で世の中に出てきた人たちなんですけど、日本にデビット・ボウイやボーイ・ジョージが紹介されたとき、誰も「えっ!なんで?」って大騒ぎしなかったんですよね。その前にわたくしがずっと前にいましたでしょう?
ですから「美輪明宏(当時は丸山明宏)の西洋版か!」みたいな調子でしたものね。
TBSラジオ『薔薇色の日曜日』2016年5月1日放送分より