【美輪明宏】パンク・ファッションを始めた理由について語る
(デビット・ボーイなどと)歌っているもの、表現しているものは全く別ですけど、あの方たちはロックでしょう。私はロックは歌いませんからね。そこが全然違っていたわけです。
私は軍国主義の、つまり男は国民服で丸刈り、女はモンペはいてパーマネントは禁止、っていう軍国主義が、終戦後に平和主義になって、やっと平和の象徴ということで、私はそれ(軍国主義)に反抗しまして、もう日本も平和になったんだから。
それでシャンソン喫茶の運営を受け持たされていたんで、そこを文化の発信地として有名にしたいということで、ちょうどサンジェルマン・デ・プレという場所のカフェフロールという喫茶店があって、そこがボーヴォワールであるとか、またその旦那様の哲学者ジャン・ポール・サルトル。あとはジャン・コクトー。そういう天才たちのあつまるアジトで、点でばらばらで面白いパンクなファッションしている人がいて。その写真を見て、これを日本に移してやろうということで(始めた)。
というのは日本にはそういう歴史がある。平安時代のお稚児さん。それから室町時代の観阿弥・世阿弥のころから。若衆の男でもない女でもないというのが、歴史として文化として成立していたわけだから、これを日本でまた復活させればよい。それを新しくデザインして復活させようということで始めたんですよ。
まぁだから戦時中の意識を持っている人なんかは、もうね。「おかま!変態化そばによると気持ちが悪い」とか、とにかくいろいろ悪口言われましたよ。わたくしも、普通だったら泣き寝入りでしょうけど、そうはいきませんからね。わたしは義理堅いんでね、そういうお言葉を頂戴したらだいたい10倍返しか20倍返し。
「てめぇこそそんなこと人に言えるようなあれか!」「てめぇの面、鏡に向かってみやがれ」って、そういう汚い言葉でやりかえしてたんですね。まぁとにかく泣き寝入りはしませんでしたね。
「もの知らずどもが!これが日本の歴史なんだよ」って言ってましたよ。だから私は公然としてましたよ。だから、それが今や、当たり前になりましたよ。
男も女ももう。少々ド派手な格好してても誰も振り返りもしないでしょう?当たり前みたいな感じで渋谷だとか原宿でもね。人々は百花繚乱でいいんですよ。それが自然の法則ですからね。花にはバラもあれば梅もあれば菊、たんぽぽもある。この自然界見てると、それぞれみんな違う品種で、違う顔している、それが共存している訳ですよ。
ですから人間もそれぞれ違ってて当たり前だし。それがゲルマン民族だけじゃなきゃダメだってヒトラーみたいにね。だから彼らは滅びたんですよ。
右に寄りすぎても国は亡びる。左に寄りすぎても国は亡びる。みんな百花繚乱でね。それの象徴でございます。戦闘服がわたくしのああいう格好でございました。
もうますます自由平和で、その代わり責任は自分で取らなきゃダメですね。自由と放埓は違いますからね。わたくしたちは全部責任は自分にあると思っていましたからね。自由に生きるのは結構。でも自由と放埓は違いますよ。
自由というのは責任を自分で取るということなんですよ、ということをもの申し上げたいですね。
TBSラジオ『薔薇色の日曜日』2016年5月1日放送分より