【美輪明宏】一緒に酒を飲んだ友人たちとの思い出を語る
今日はまず、皆様方のお便りを紹介させていただきます。
ラジオネーム、ハッハッハッ、この方はずいぶん洒落た方ですね。ラジオネームがアマポーラって方なんですよ。アマポーラ~♪っていう歌が流行りましてね。これは淡谷のり子さんも日本語に直してうたってらっしゃってね。ですから、わたくし、このアマポーラって名前は懐かしい名前ですね。さっそく読ましていただきますね。
スタッフの皆様、私の夏の楽しみは冷たいビールです。美輪さんはかつて、かなりの酒豪だったとか。どんな方たちとどんなところでお酒を召し上がっていたのか。ぜひ、聞いてみたいです。
へぇーそうですか。わたくしが酒豪だったのは。20歳代までなんですよね。もう30歳になった時にはぴたっと止めてましたから。
あのメキシコの28度なんて言うね、口に近づけただけでパァーと目から火が出そうなふうに激しいものとかね。だからウォッカなんて生でそのまま飲んでましたからね。日本酒も大好きでね。ビールもそんなに種類はございませんでしたから。
飲む場所もビアホールが終戦後にぽつぽつできて、やがて花盛りになったのがその時代でしたかね。あちこちの屋上にビアガーデンが出来たり、ちょっとしたスペースのある公園みたいなところに、ビアガーデンが出来たりしちゃって。
わたくし飲んで一緒に楽しかったのは、まぁイタズラばっかりしてた遠藤周作さんとかね。作家の方たちが多かったですね。吉行淳之介さんとかね。あの方も冗談が好きな方でしたね。そして安岡章太郎さん、第三の新人って言われてた人たちでしたね。
三島由紀夫さんは本名が平岡さんっておっしゃるんですよね。平岡精二さんていう当時有名だったマリンバや木琴の名手がいらしてね。この方バンドも持ってらしたんですけど、そのバンドのメンバーがドラマーから何から、あらゆる楽器を全部弾けるんですよ。こんなインテリのすごいバンド見たこと無い。で、その平岡精二さん自身が「あいつ」とか「爪」とか「学生時代」とか、ああいう曲の名作を、たくさん作って詩もお書きになって、素晴らしい天才だったんですね。だから中村八大さんなんかも一目も二目も置いてましたね。
その平岡さんがね。同じ平岡だけど三島さんと親しいんだったらね。三島さんも平岡だから紹介してくんないって言うんでね、いいよって。で、そこで三島さんと平岡の精ちゃんと3人で銀座あちこち飲んで、文士の集まるところがあったんですね。そこへもご案内して。あと六本木へ行きましょうって。六本木がまだね、田舎っぽいときでしたね。いろんなお店ができる前で、あるディスコが大きなディスコで、女社長の人で、やり手の人で、その人がやり始めたとこから開けていったんですね。
そうして、あとは赤坂、新宿行ったりしててね。でとっても楽しかったですよ。やっぱりおだから酒は楽しく飲むべかりけりでね。あとは学生さんと一緒にそれも銀パリっていうシャンソン喫茶に集まっていた学生さんたちでね。あとは大スターになった田宮二郎って、学習院の1年坊主として京都から出てきたばかりでしたね。
まぁとにかく多士済々で、面白かったあの時代はね。もうみなさん亡くなってしまって、船は出ていく煙は残る、残る煙は癪の種。あたしにだけ癪の種が残ったようでございますけどね。
まぁそういうことでございました。これでよろしゅうございますか?
TBSラジオ『美輪明宏 薔薇色の日曜日』2016年8月21日放送分より