【美輪明宏】戦中の食べ物について語る
今日のお話は戦時中の食生活についてお話させていただきたいと思います。食生活と呼べるようなものは何も無くなったんですもの(笑)みんなふらふらでしたよ。
食料はすべて配給になりまして、お米も何もかも全部配給ですよ。それからバターとかお砂糖というのはなくなりました。みんな、そこら辺の田舎に行きまして、サツマイモとかそういうものしか無いんですよ。
物々交換とか原始的でした。お金が何の価値もありませんでしたから、紙っぺら同然の値打ちだったんですね。「着物を持ってこい」「帯を持ってこい」「ラジオを持ってこい」「カメラを持ってこい」って言われて、そういうものとお米とかイモとかを仕入れてリュックサックでみんな運んできて。それを闇(市)っていいまして、政府では禁止されていました。
メチャクチャな時代
警察が待ち伏せしてまして、駅とか道路の途中とかで人が通るのを待ってるんですよ、検問みたいにして。それで捕まりそうになると、みんな蜘蛛の子を散らしたみたいに逃げるんです。追っかけっこをして、それで取り締まりで奪ったお米や何かは、(警察が)自分たちで分けたり、家に持って帰って食べてるんですよ。メチャクチャな時代でしたよ。
創意工夫の時代でしたよ。パン焼き機なんて板を組み合わせて、中に金属の板を張って、電気を通すとパンのまがい物みたいなのができる。
タバコも配給で、タバコの草がありますでしょう?それと紙とか別々で配給されるんでしょ。それでタバコ巻き器っていうのができまして、自分たちで作ってたんですよね。
卵なんて言ったらみんな、目の色を変えてましたよ。高いですからね。どんなおうちでも玄関先に竹かごを買ってきて、中ににわとりを入れて飼ってたんですよ。それで卵を産むのを待って、それがたんぱく質の供給源でした。
はぁ、やだやだ本当に。それで映画になったらしいんですけど、そんな楽しいものでも何でもありませんよ。とにかくああいう時代は二度と来てほしくないですね。でもひょっとしたらもう、すぐそこまで来てるかもしてませんよ。
TBSラジオ「美輪明宏 薔薇色の日曜日」2017年1月22日より
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