【美輪明宏】テレビ放送が開始されたころについて語る
さて、今日から2月。2月は如月(きさらぎ)、梅見月(うめみづき)、梅を見る月とも申します。ところでみなさま2月1日はどんな日かご存知でしょうか?今日はテレビ放送記念日なんです。1953年、つまり昭和28年の今日。NHKが初めてテレビの本放送を開始しました。
当時のテレビの現場は本当に今とは違っていましたからね。
私、それより1年前、昭和27年にNHKから声がかかって駆り出されたんですよね。私とNHKとの縁は終戦直後からですね。長崎におりまして、長崎のNHKの支局の放送合唱団というのがございまして、その合唱団の一員として歌わせていただいていたんですね。そのころはまだボーイソプラノだったもんですから、ソプラノの部分を受け持って、その後で変声期でテノールになっても放送合唱団におりましたね。
それからすぐ東京へ出てきまして、国立の音楽学校へ入って1年間いたんです。それで銀パリというシャンソン喫茶ができまして、日本で最初のシャンソンのライブハウスだったんですけど、そこでオーディションを受けて、そしたら受かったんですね。
NHKに行ったら…
だれかシャンソンを歌う人をということでお声がかかりまして、NHKに行きましたら、実験放送なんですよ。テレビがまだ始まる前で、テレビが何者か、私たちは全然知らなくて。当時はモニターが無いんですよ。局内にあちこちにモニターが無い時代で、実験放送ですから。しかもカラー放送じゃなくて、黒白で、磁気嵐でザーザーなったりするんです。
そこで歌ってくれって言うんですけど、ミキサー室の中でしか聞けないはずなんですね。一般の人たちには放送されてないのに、わたくし『小雨降る水』とか『ラミエール』とか、そういうレパートリーで一生懸命歌った覚えがございます。
そのうち街頭放送ということで、新橋とかいろんなところにテレビが置かれるようになったんです。だけど、ものすごくお値段が高かったんで一般の方じゃ買えなかったんですね。
喫茶店なんかでは客寄せのために、お店の前に大きく「テレビあります」って書いてあって、そうすると客がテレビ見たさに、表まで長蛇の列で並ぶくらいだったんですよ。
あとでお友達になった力道山って言うプロレスの方がいまして、一緒に映画を撮ったりもしましたけど、彼が街頭テレビで人気を得たころは、新橋も何も広場がきっしり埋まるくらいで、何万という人じゃないでしょうかね。大変な騒ぎでしたよ。
力道山が外国人のプロレスラーをバシバシとやつけて、そのたびにみんなが歓声をあげて、終戦敗戦の留飲を下げたり、そういう時代だったんですね。
TBSラジオ『薔薇色の日曜日』2014年11月30日放送分より