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美輪明宏ラジオの名言

美輪明宏の発言まとめ

【美輪明宏】力道山、歌声喫茶、ロマンスグレー…『ゴジラ』公開の1954年の思い出

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今月は「ゴジラ」のハリウッド版が公開されますね。びっくりしますね、ハリウッド版!ハリウッドってところは昔からよくフランス映画とか、イギリス映画とか、よその映画の当たったものをパクりまして、それのリメイク版を作って作り損なうのが多いんですよね。

 

フランス映画の叙情的な洒落た映画を作ったりしましたけど、目も当てられないような駄作になってましたね。だから今度のゴジラがそうならなければいいと思ってますけども。

 

最初のゴジラはCGなんてございませんからね。みんなセットで、カメラと美術さんたちの演出の努力のたまものだったんです。

 

昔のゴジラをDVDでご覧になる機会がおありでしたら、何にもなしで手仕事でこんなことやってたのかと、ご覧になってお楽しみいただきたいと思います。

 1954年ごろの思い出

日本版の公開は1954年だったんですけど、私も見ましたけ。当時。主演の宝田明さんが本当に美青年で、あの頃に1m80cm以上ある背の高い方って珍しかったんですよ。

 

後ほど、宝田さんと東宝日劇という、芸能人のあこがれの劇場が有楽町ございまして、今は無くなってデパートになっちゃいましたけど。そこで何度か共演してるんですね・よく仕事の後で、遊びに行ったりしましたけど、とっても優しくて、包容力のある青年でしたですよ。

 

1954年と言いますと、私は花の19歳でございますけれど、ちょうど銀座の7丁目、資生堂の真向かいにシャンソン喫茶で銀巴里というお店がございまして、今は石碑だけが立っておりますけど、ジャズ喫茶ていうのが日本で初めて5丁目の方にできまして、テネシーという所だったんですけどね。『上を向いて歩こう』を作曲なさった中村八大さん、ああいう方や、アメリカで大活躍のピアニスト、穐吉敏子さんだとか。そういった方も輩出した時代でしたね。

 

そのころサラリーマンの人は8000円から9000円くらいの給料でしたね。それまで私はホームレスやったりしてたんですけど、銀巴里で超満員のお客を呼ぶようになったんで、だんだん給料が上がって、5万円の給料を取るにようになって、それで華美な服装ができるようになったんです。自前の衣装でしたから大変でしたけどね。

 

当時、街頭テレビなんかがちょっとしたら出てきて、力道山。これが大人気になりまして、力道山とは後に松竹映画の『激闘』というので共演させていただいて、とってもかわいがっていただいて、よくしていただいたんですけども。

 

その前に宝田さんとも出てた日劇。ここの上に日劇小劇場がありまして、越路吹雪さんや高英男さんが出てらして、トニー谷さんも出てて。そこへわたくしも出させていただいて、そこの踊り子さんが気に入って力(道山)さんが良く通ってらしたんですよ。

 

力道山さんの結婚式の時にも呼ばれまして、からかったらトマトのように顔を真っ赤にして「ばかやろう」って照れてらっしゃって、とってもかわいらしかったですね。

 

いま白鵬関が一番尊敬してらっしゃる双葉山さん。この方も結婚式に見えてて、お話させていただいて、「はぁこの方は人格者だなぁ」って思って。そんなに大きな方じゃないんですよ。

 

その他に歌声喫茶なんてものが、私たちのシャンソン喫茶に張り合って、ロシア民謡が主でしたね。それで社会主義者とか、労働者とその家族の方とか、働く方・サラリーマンの方が多くて。それこそ新宿から中野から、いろんなところそういう歌声喫茶が出来て、ギターとかアコーディオンだけで、みんなでロシア民謡とかトロイカとか声を揃えて歌うんですね。そして紙に印刷された歌詞を見ながら、他人どうしがみんな和気あいあいとして仲良くなって、それこそいい時代でしたね。

 

ロマンスグレーという旅行もあったんですけど。それまで白髪っていうものをみんな隠したがったり、白髪頭だからってコンプレックス持ってたおじさま方がロマンスグレーって言って市民権を得たもんで大威張りで隠す必要がなくなった。そういう時代でまぁ思い出すと次から次へとまだまだたくさんございますけども、いずれまた時間があるときにそういうお話をご披露させていただきたいと思います。

 

TBSラジオ美輪明宏 薔薇色の日曜日』2014年7月13日放送分より

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