【美輪明宏・吉井和哉対談①】イエローモンキーの時とソロの時の違いについて語る
(吉井)また、いっぱい怒られそうだな、フフッ
美輪さん、登場
(吉井)どうも、今日はお忙しい中、どうもありがとうございました。
(美輪)どういたしまして。
(吉井)先日246(号線)で車で偶然お会いして
(美輪)そうなの。すれ違ってね
(吉井)もう、窓開けて「美輪さーん!」って(叫んで)
(美輪)誰だろうって思ってたのよ
(吉井)一発でわかりますからね、美輪さんは
(美輪)あぁそう?
(吉井)窓開けて「愛してるわよー」って言っていただいて
(美輪)そうそう
(吉井)うれしかったですけども
(美輪)アレは病気なの、わたくしの
(吉井)ハハハ
(美輪)それでまた、なんで召集令状が来たの?わたくしに
(吉井)あのー以前お会いさせていただいたときに、けっこうビジュアル系みたいなのは、もう嫌だと思って。そういう時にお会いして怒られたじゃないですか
(美輪)うん
(吉井)やっぱ僕はもうずっと一生ビジュアル系だと思うんです
(美輪)うん
(吉井)もう美輪さんの遺伝子を、恐れ多いですけど、受け継いだ一人だと思うので
それは今日まず一番に宣言したくて、お招きしたということです
(美輪)はぁ良かった
イエローモンキーの時とソロの時の違いは?
(ナレーション)
吉井さんと美輪さんは11年前(1995年11月)に雑誌の対談を通じて、知り合いました。その当時、吉井さんは、THE YELLOW MONKEYのボーカリストとして活躍。THE YELLOW MONKEYはシングル・アルバム併せて1300万枚を超える売り上げを記録。数々のヒット曲を世に送り出しました。しかし2004年に解散。そして東京ドームで行われた最終公演には美輪さんも駆けつけました。
(美輪明宏と吉井和哉の96年の対談は紫の記念日 1で読めます)
(美輪)イエローモンキーがほら、ものすごくブレイクしてて、その時のエネルギーは凄かったわよ
(吉井)僕のですか?
(美輪)うん
(吉井)はぁ。今はダメなんですか?
(美輪)だって今はねぇ。イケイケどんどんじゃなくなったもの。あの時はイケイケどんどんで、ビジュアル系の、私みたいな格好してたじゃない?で、あぁ、なるほどやるなぁと思ったのね。それで、ソロ(1人)でやってどうだったの?バンドでやってる頃と(比較して)
(吉井)やっと今になって楽しくなってきました。
(美輪)で、最初はどうでした?違いは
(吉井)いやー、寂しかったですねぇ
(美輪)ふっふっふっふ。パワーはどう?
(吉井)パワーは…、まぁバンドの全盛期とはちょっと違いますね
(美輪)うん。最近、あなた普通の格好してやってるけども…
(吉井)怒られたんですよね。美輪さんのコンサートを拝見しに行って、軍ものの服とか着て。うわぁ汚い、汚らしい格好してって
(美輪)それは良いんだけど。ステージやなんか、ステージングね。ビジュアルって言うのは大道具、小道具全部兼ねたものなのよ。それが無くなって、そこいらの渋谷とか歌舞伎町を歩いている人たちと同じ格好して、舞台に出たって商品価値無いのよ
(吉井)はい
(美輪)魅せるっていう、つまり商売になっていないんだから
(吉井) そう、それで最近僕も金のモノを身に着けようとか、持てって言われて。だんだんこう…
(美輪)シルバーとかプラチナとか白いものより、ゴールドの方が良いのよ。
(吉井)はい、そうですか
(美輪)だから私、髪の毛だって黄色にしているのは、別に前世がピカチュウだったわけじゃないの
(吉井)フフフ
関連記事:【美輪明宏】ポケモンの可愛さとポケモンGoについて語る
(美輪)つまり華やかで、和やかで、金運が良くなるってことで…
(吉井)うん
(美輪)運が開けたり、良くなるって言うのは何でもやるのよ、わたくし
(吉井)でも良いことですよね
(美輪)衣装とかね、吉井和哉って名前にしても、華やかでショーアップされたものじゃないと成功しない名前なのよ。だから暗くてって言うのはあなたには本当は合わない
(吉井)スタイリスト衣装が地味だ!(笑)
(美輪)アハハハ。スタイリストのせいじゃありません。自分のせいです(笑)
フジテレビ『僕らの音楽』2006年10月6日放送
続きは
さらに、その次
この記事を気に入った方におすすめのエントリー
吉井和哉さんはイエローモンキーの時はイケイケなファッションをしていたみたいですが、ソロになって服装を地味めにしたようですね。その点を美輪さんに突っ込まれているわけですが。美輪さんのファッションについての考え方が知りたい方は次の記事を読んでみてください。
また吉井和哉さんはイエローモンキーの時は化粧をしていたようですが、男性の化粧について美輪さんが語った記事はこちらです。