【美輪明宏】海にまつわる思い出と菅原文太について語る
もうすっかり夏でございますね。♪夏が来れば思い出す~。本当夏って言えば皆さんいろんな思い出をお持ちでしょうね。
わたくしも今はもうまったく海は好きじゃないんで行きませんけど。足がつかないって言うのが理不尽な気がしまして。不安でしょ?というのは、わたくし土の精で、だいたい火の性なもんですからね。水とは相性が悪いんですね。海水浴も本当に嫌ですね。
長崎におりましたんですけど、中学の頃でしたね。同級生たちとみんなで海に行きまして、そしてちっちゃな小舟に乗って、ちっちゃな岩があって、そこまで船で行って、そしたら帰りにその船が迎えに来なくて、そして引き潮で岩がものすごい高いところになったんですよ。
そして下に降りるもならずでね。やっとのところで、もう死ぬつもりで、飛び込んで岸に向かって泳いだら、危うく溺れ死にそうになっちゃったんですよ。そうしたらわたくしを一部始終、いつも見守っている同級生の野球部のピッチャーだった、彼がスーッと横から抱きかかえてくれて、岸まで連れてってくれたんですよ。本当に命の恩人です。彼はもう亡くなりましたけどもね。
それぐらいの思い出で。でも海の歌は、わたくし大好きでね。のちほど曲をおかけしたいと思っております。
では海にまつわる叙情歌を聞いていただきたいと思いますけど、わたくし今思い出したんですけど、亡くなった俳優の菅原文太さんが、まだ若くて俳優さんになりたての頃でしたね。
よく彼はわたくしのファンで、銀パリというライブハウスにわたくしの歌を聞きに来てくれてたんですね。学生時代から。早稲田の学生だったんですけどもね。
それがあって、誘われて大磯の海に行きまして、本当に松原があってキレイなところでしたね。帰りにうちへ寄ってご飯食べたりなんかしまして、うちへ寄ってって、うちでご飯作るわけじゃないんですよ。うちの近所のレストランで食べたんですけどもね。
そういう思い出がありましたね。本当に良い人で、妹さんが大好きな方でしたね。妹さんののろけばかり聞かされましたよ。とっても思いやりのあるアニキって感じの良い方でしたね。
では話がほかにそれましたけど、私は長崎の海も大好きで、お蝶夫人の港でございますから。オペラのお蝶夫人が港を眺めながら、海を見て夫のピンカートンを待ち続けている。わたくし、その『ある晴れた日に』っていうお蝶夫人のアリアを、ピアノ弾きながら学校の講堂で歌ったものでした。
では、そのころの思い出とともに、聞いていただきたいと思います。わたくしの歌で、皆さまよくご存じだと思います。『われは海の子』聞いていただきたいと思います。
TBSラジオ『美輪明宏 薔薇色の日曜日』2016年7月10日放送分より
この記事を気に入った方におすすめのエントリー