【美輪明宏】『うす紫』という曲の由来について語る
今日は宮沢賢治のお話をさせていただいた。ついでに乗っかってという話じゃございませんけれどもね。抒情的な秋にまつわる私の歌を聴いていただきたいと思います。
お聞きいただくのは、わたくしの作詞作曲で『うす紫』というタイトルでございますけど、これは作りましたのは終戦後間もなくで、昭和26,7年でしたね。
わたくしが音楽学校行ってたんですけどね。家が破産して月謝代も払えなくなって、それでホームレスになって、ああこのまま死ぬのかなと思ってたら、ちょうど長崎時代の同級生がこっち来ていることを思い出しまして。
頼っていって、それが世田谷の等々力という場所でしたね。当時は見渡す限り野ッ原でして、そして頃は秋でススキが一面にそよいでいて、武蔵野の面影を感じさせる林や森もありまして、等々力不動も近所にございますでしょう?
夕霧が多摩川にふわーっとかかっているような景色を見ながら散歩してますと、隣の寮にいた上級生みたいな人が、人妻と不倫してて密会してる時があって、着物姿で男の人と二人で木陰で泣いてて、それが竹久夢二の絵みたいだったんで、はぁこれは絵になるな、詩になるな、と思って詩に書いて、曲もつけて、1時間ぐらいでできましたよ。
で、そのまま寝かせておいたんですけど、わたくしが『ヨイトマケの歌』がヒットして、そのときにLPレコードに入れたんですね。
では、その儚げな、結ばれない恋を歌った秋の歌でございます。美輪明宏の詩と曲で『うす紫』です。
TBSラジオ『美輪明宏 薔薇色の日曜日』2016年9月18日放送分より